ひとり遊びのポルカ

主にひとりで遊びます

金運を授かりたいので、白山神社の蛇松明神に参詣した日の話

ちょっと前、8月13日の話だ。

前日12日は、お盆のために帰省した友人と会った。関屋浜のオシャレな海の家で映えまくりのお昼を食べ、夜はもう1人友人と合流して、古町の「胡坐屋」でお酒を飲んだ。帰るのが面倒で、私はそのまま古町に宿泊した。

関屋浜SeaPointNiigataの佐渡型カレーとノンアルモヒート。
「映えとりますな~!!」と口々に言いながら食べた

 

翌朝、せっかくなので、白山神社へお参りにいくことにした。

9時前の古町通をぶらぶら歩く。途中、老舗喫茶店「香里鐘(カリヨン)」にふらっと入って、温かいスープとパンで腹ごしらえする。

くらげのマットがかわいい

今は違う町に住んでいるが、私はもともと下町(しもまち)の生まれで、学生の頃などはこのあたりでよく遊んでいた。白山神社もわりと慣れ親しんだスポットではあるのだが、逆にきちんと参拝したことがない。

せっかく行ってみるならと、軽く白山神社について検索したら、「蛇松明神社」のことが書いてあった。
白山神社は広く、本殿以外にも社が点在している。そのうちの一社、蛇松明神社が金運のパワースポットとして名高いと目にしたのだ。

金運、めちゃくちゃ欲しい。あやかりたい。

その名の通り蛇の神様をお祀りしているので、蛇の好物である卵をお供えするのが良いとあった。行きがけにコンビニで生卵の4個入りパックを買って、古町通を歩いていく。

それにしても、まだ9時なのにもう嫌になるほど暑い。リュックに日傘が入っていたのを思い出して、歩道が屋根に守られている上古町を抜ける前に取り出しておいた。

 

白山神社

白山神社はこんなに広い

白山神社は新潟総鎮守といわれる、由緒ある大きな神社だ。新潟市民には初詣や結婚式や七五三などの機会で、あるいは7月ごろに行われる大きな祭り「白山まつり」に、一度は訪れたことのある人が多いだろう。

縁結び・縁切り、厄除けで有名だが、境内はこのようにめちゃくちゃ広い。
今回目指す蛇松明神社のように、小さな神社がいくつも点在していることを知らない人も多そうだ。私は知らなかった。

一面に蓮の生い茂る大きな池などもある

蓮の花は盛りを過ぎかけていたが、もう少し早ければ境内の大きな池に蓮がたくさん咲いていて、とても美しい。

春には藤棚も美しく、さんぽするにはもってこいの場所だ。

 

本殿

表参道を通って本殿に着いた。ここには初詣などで来たことがある。
白山さまと親しみを込めて呼ばれる白山大神は、菊理媛神(くくりひめのかみ)または白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)という名の、女性の神様だ。

菊理媛神は『日本書紀』の中で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が黄泉平坂で口論になった際に仲裁をした神で、そのことから縁結びにご利益のある神様として祀られるようになったのだという。

ほかの社に行くにも、まずはここでお参りをしたい。

 

蛇松明神社への行き方

本殿にお参りしたところで、さっそく蛇松明神社へ向かおう。

本殿向かって左手側に、鳥居が据えられている。その向こうに、地下へと降りる階段が見えて、ちょっとドキドキするがそこを降りていこう。

えっここ通っていいの…?と一瞬不安になるが、ちゃんと看板が出ているのでそのまま進む

地下道を通って…

地上に抜けると参道が続いている

抜けた先は、高く伸びた松の木の葉が日光を遮っていて、少し涼しい。この先には3つの神社があるが、目指す蛇松明神社は一番手前側の社だ。

 

蛇松明神社

やっと、というほどの道のりではないがたどり着いた。
こちらが蛇松明神社である。ひと繋ぎに読むと、ん?へびたいまつじんじゃ?と思ってしまうかもしれない。そうではなく、「蛇松明神(じゃまつみょうじん)」をお祀りした社である。

絵馬かけにはかわいい白蛇の絵が描かれ、金運アップを願う絵馬がたくさんかけられていた。

裏に生えている、蛇松さまとよばれる松の木に謂れがある

江戸時代中期、この一帯が信濃川の氾濫による大洪水に見舞われた際、当時の白山神社神主・小林能登守直養が洪水の中に溺れている白蛇を見つけ、可哀相に思って神社の松の梢に助け上げてやった。
すると蛇はたいへん美しい姫の姿に変わり、「このご恩は忘れません。この神社の守り神となり、末永くこの地の繁栄と難病苦難の人々を守るために祈ります」と告げて姿を消した。
老松の幹は蛇の鱗のように変わり、すると雨と洪水はたちまちのうちにおさまった。

このことからこの松は蛇松明神と呼ばれ、人々に篤く信仰されるようになった。
やがて、参拝者の間で蛇松さまの皮を煎じて飲むと万病に効くという噂が広まるようになり、毎日人々が大挙して松の皮をむしり取っていった。

五月のある深夜、神主・小林能登守直繁が寝ていると、女の衣擦れの音がさらさらと近づいてくる。不審に思っているとふすまが開き、見知らぬ美しい娘がやって来て枕もとに座るなり、しくしくと泣き出した。
何者かと問うと娘は、「私は神社の裏にある蛇松の精でございます。近頃、町の人々が私の皮が薬になると言って、毎日のように剥ぎに参ります。私は生身から皮を剥がされる痛さのために、泣き暮らしているのでございます」と訴えた。

翌朝早く、神主が神殿の裏へ行ってみると、木肌が蛇の鱗のようになった松があった。昨晩の娘が言っていたように、その樹皮は剥がされて松ヤニが生々しく流れている。
そこで神主は、松を玉垣で囲い、しめ縄を張り巡らせて、人が立ち入れないようにした。

それ以後、松から樹皮が剥ぎとられなくなると、人々の願いは前にもまして叶うようになり、蛇松明神はさらに評判を呼んで、昭和35年6月に蛇松明神の神社が建てられた。

 

樹皮を剥ぎ取られなくなるとさらに願いが叶うようになったという結末が、なんだかとてもいい。あんまり社の裏へは入らなかったが、後方に生えているのが蛇松さまだろうか。

 

あっ

あった。卵の奉納箱だ。

蓋は結構ずっしりしていて、手前からパカッと開くようになっている。ジップロックに入った卵がすでに納められていた。私もリュックから卵のパックを出して、奉納した。

お賽銭を入れて、金運アップをそれはもう強く願った。

 

松尾神社黄龍神社

ついでと言ったら大変失礼だが、参道はさらに奥へ続いているので、奥の2社にもお参りをしていくことにした。

参道をさらに奥へ

松尾神社(手前)、黄龍神社(奥)

参道の終着点は少し開けていて、2つの社が左右に並んで建っている。

写真手前の松尾神社は、中津島姫命(なかつしまひめのかみ)=弁財天を祀っている。芸術・芸能や商売繁盛の神様だ。美人な神様としても有名で、美力向上にもご利益があるのだとか。

写真奥の黄龍神社は、金龍ともされる黄龍大権現を祀っている。昭和41年、新潟地震地盤沈下、新潟大火といった災難が新潟市内に相次いでいたことから建立された神社だという。災難除け、病気平癒、無病息災のご利益がある龍神で、そばに建てられた解説によると「お力、おまもりの張固なる反面、お咎めも厳しい」神様なのだそうだ。

 

それぞれお賽銭を入れて、お参りをした。後ろから次々人がやって来たので、あまり写真を撮れずに退散した。

 

参道を戻る途中で気づいたが、参道の傍らに道祖神も祀られていた

 

また地下道を通って、本殿のほうへ戻って来た。

本殿の向かって左手側の奥にある「白山くくり石」に向かう。直接手を触れてお参りすることで、仕事などでも良縁に恵まれるということだ。

くくり石

くくり石に手を触れていた時。突然ぽつんぽつんと雨が落ちて来た。

えっ、さっきまで晴れてたよね?

と思ううちに、いきなり本降りになった。

写真がわかりにくくて口惜しいのだが、めちゃくちゃ降っている

晴雨兼用の日傘をちょうど手に持っていたので助かった。

空は明るいので、すぐにやむ通り雨かと思ったが、どんどん雨足が強くなる。ひええ。

すっかり動揺してしまい、傘をさしたまま蓮の池でしばし佇んだ。葉に溜まった水の重みで蓮が時折傾いてつーっと水を落とすのがおもしろくて、しばらく見ていたが、雨は全然やまない。

見てるとたのしい

雨に打たれる狛犬

あまりに突然雨が降って来たので、なんだかお告げめいているような気がした。これは聞き届けてもらったということなのだろうか。でも、大雨と洪水をおさめた神様をお参りしたあとにいきなり雨とは……うーん。

それはわからなかったが、急な雨のおかげで一気に空気が涼しくなって、空も明るく、なんとなく気持ちのいい雨だった。
しばらく傘をさしてうろうろしたものの、やむ気配もなかったので、神社の細かい砂利でじゃしじゃしになった足をサンダルごと公園の水道で洗って、古町通を歩いて戻った。

 

そして、ご朱印をいただこうと思っていたのに、きれいさっぱり忘れていた。
次は、特に蛇松明神社へのお参りに向いているという己巳の日にリベンジしたい。